ある日本語教師のツイートを読んで心が病んじゃいました

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ある日本語教師のツイートを読んで心が病んじゃいました

「ある日本語教師のツイートを読んで心が病んじゃいました」という題名ですが、心は病んでいません、大丈夫です。ただ、ちょっと落ち込んだかな。

そのツイートはだいぶ前のことなので、原文は、もう覚えていません。なんとなくですが、このようなツイートでした。
「養成講座出身の日本語教師は知識にバラツキがあるから使えない、日本語教育能力試験の合格者じゃないとダメですね」
「みんなの日本語なんか使っている養成講座はダメなんです」とかいろいろ…

自分に向けて言ってるわけではないし、母校の日本語教師養成講座のことを言ってるわけでもない、ツイートした日本語教師の方に悪気もないと思われるのですが、まさにわたしのことのようで、正直、かなりショックでした。

わたし自身、日本語教育の知識はあったほうがいいと思いつつ、どこか本に書いてあるし、ググれば分かることだからと疎かにしてたところがありました。知識がないと言われれば、その通りなので反論はできません。

Twitterを始めて、そのツイートを読んで、今まで持っていた日本語教師という仲間意識が崩れ去った瞬間でもありました。カテゴリーは日本語教師で一緒ですが、見下したり、見下されたり、みんな同じ意識ではないのかもしれませんね。

そんなこともあったので、みんなの日本語を使っている養成講座と、そこで習った日本語教師(わたしを含む)について、改めて考えてみました。

 

みんなの日本語を使用している養成講座について

「みんなの日本語」に対して、あまりいい評価をしていない方がいるのは重々承知しております。だからといって、みんなの日本語を使っている養成講座がダメというのは、少し違う気がします。養成講座は、それだけを教えているわけではないのです。わたしは、いろんなことを学びました。ときにはゲームをしたり、学生に授業を楽しんでもらえるノウハウを教えていただきました。養成講座で「みんなの日本語」を使っているのは、単純にシェア率だと思います。国内海外問わず、多くの日本語学校が「みんなの日本語」使っているので、養成講座も「みんなの日本語」になる。もし仮に「できる日本語」のシェアが高ければ養成講座も「できる日本語」を使っているでしょう。ただそれだけなんじゃないかな。わたしは養成講座と千葉の日本語学校では「みんなの日本語」でしたが、その後、台湾で「できる日本語」を使うことになっても対応できました。

養成講座出身の日本語教師は知識にバラツキがあって使えないということについて

養成講座を終了して日本語教師なった人は知識がないから、使えないということは、少なくとも、わたしが働いた日本語学校では、ありませんでした。
ツイートされた日本語教師の方は、「養成講座出身者はオーディオリンガル・メゾットとコミニュニカティブ・アプローチもわからない」と例としてあげていました。その教授法は養成講座で習ったけど、実際の授業は生ものだし、これはこうだとか、いちいち当てはめて考えたりしたことないから、というか、きちっと型に当てはまるものなのか疑問。だから、もしその場にわたしがいて「オーディオリンガルが…」とか言われてもピンとこなかったと思います。ハズレの日本語教師だったでしょう。
そもそも教授法などの専門用語で同僚と話すことはなかったし(キューとかは普通に使いますが)もしそのような言葉を使っていたら、聞いた同僚もピンとこないんじゃないかと思う。それは専門用語を知らないわけではなくて「わかりずらいから普通に話して」と言われそう。この手の言葉は台湾のときの勉強会でも使ったことも聞いたこともなかった。でも、それはあくまでわたしが勤めた日本語学校でのことでありますが…
すみません、すこし脱線しました(汗)
話を元にもとします。

わたしは養成講座出身の日本語教師を何人も見てきましたが、どの先生も優秀だったという印象です。でも、その先生たちが最初から優秀だったかどうかは知りませんが…

やっぱり知識は必要ですが、経験のほうが大事な気がします。あくまでもわたしの思うところですが。

 

以上、少々愚痴みたいになって、すみません。
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