内定していた中国の日本語学校がなくなった件

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内定していた中国の日本語学校がなくなった件


こんにちは、ぱんずです。

今回は「内定していた中国の日本語学校がなくなった件」です。

内定者は、わたし本人で、かれこれ4年前のことです。

当時は大変ショックでしたし、ちょっと信じられない出来事でした。
中国で日本語教師をしていた雨好きさんによると、中国では、よくあることらしいです。

※ここ2年、日本でもコロナの影響で日本語学校に大変なダメージがあったと思います。
日本語学校がなくなるなど、大変な目にあわれた方は、この記事を読むと気分を害するかもしれません。
読んでも大丈夫な方だけ、読んでください。

会社を退職した後、日本語教師養成講座まで、1か月の間があったので、元会社の同僚に上海の日本語学校を紹介してもらいました。日本語教師として何一つ分からないまま上海へ面接へ行きました。

中国って(というか上海の一部地区かな)コネ社会のようで、わたしのためにいろんな人が動いてくれたようです。


めっちゃ美味しかった中国のお酒

はじめてあった人とお酒を酌み交わした記憶があります。

面接はお昼に日本語学校まで連れて行ってもらい校長先生や現場で教えてる先生とお話いたしました。面接というか、もう決まっているような感じでした。

日本語学校は、上海の某大学の中にあり、いい学校を紹介してもらったなぁと思いました。

海鮮料理屋さん、関係者らしき人?8人くらい集まりました。
お世話になって申し訳ないので、代金はわたしが払いました(2万円くらい)

そして、就職先だけではなくお嫁さんも紹介されました。
お酒の席で紹介された女性が1人と、いろいろと段どってくれた元会社の同僚の中国人の奥さんの妹さんが好意をもってくれたらしくて、結果的に2人のどちらかを選ぶことになりました。
妹さんは、ホテルの部屋まで朝ご飯を持ってきてくれました。
甘くて大きいホットサンドでした(日本で食べたことない味)
※泊まったホテルは、安くて広いいい部屋だったんですが、本来は日本人は泊まれないらしいです。外国人が泊まれるホテル、中国人が泊まれるホテルは区別されているとか。
だから、部屋から出たら、中国語で話してねって言われました。

お酒の席の女性は、次の日、学校まで連れてってくれました。

最初の面接のときは、車で学校まで行ったので、また学校まで車で行ってくれるのかなと思ったのですが、途中で車を降り地下鉄に乗り換えました。

車の免許なのか、それとも車の権利なのか、車の運転は、住んでいる浦東地区から出ては行けないそうで、その先は地下鉄になるということらしいです。

車で遠出できないなんて、ちょっと信じられなくて、いろいろ聞いたところ、本人は「この地区だけ走れればいいんだよ」と言ってました。

上海の駐車場にあった怪しい日本語

校長先生に面接のときに見学したいという気持ちを伝えたら、OKをくれたので、次の日も日本語学校へ行ったのですが、授業を20分くらいみてたら、連れて来てくれた彼女がダウンして、結局そこで帰ることになりました。「帰ろうか?」って言ったら、急に元気になって驚きました。

まあデートみたいな感じだから仕方ないのかな。
ほぼ見てませんが、授業は、簡単な中国語を使って教えていました。

彼女は日本人があまり知らない料理を注文してくれて美味しかったです。
好きな日本の歌は「さよなら大好きな人」だそうで、「花*花、わたしも好きですよ」といったら「誰?」とかえされました。

男性アーティストが歌ってるって言ってましたね。
レストランでWi-Fiが繋がっていたので、スマホで花*花のYouTubeを探そうとしたら、中国だから見れませんでした(汗)

白いトウモロコシ、まったく甘くなくて素朴な味でした。
「日本じゃ食べることできないでしょう?」言われて「うん」と答えたけど、新大久保や池袋の中国食材屋さんで売ってること知ってました。

夜まで一緒にいて、次の日の朝、日本へ帰りました。

校長先生からは、6月から3か月のクラスを受け持ってほしいと言われていました。
その後、日本に戻って、資格を取ってから、上海に戻ってきてほしいと。

すみません、時間軸が分かりませんよね。

会社を退職したのが、2017年3月末

上海の日本語学校へ面接に行ったのが2017年4月中旬ごろ

日本語教師養成講座は、2017年5月上旬~8月上旬まで

上海の日本語学校で、わたしが担当するクラスは、2017年6月上旬~8月末まで

思いっきり日本語教師養成講座と日本語学校が被ってました。

成田空港から家に帰る途中で、一旦、船橋で降りて、日本語教師養成講座に事情を話したところ、「途中で抜けて、また戻っても構いません」という回答をいただきました。

今思うと、めっちゃわがまま言ってましたね。

それで、わたしのほうは、そのつもりで準備してたのですが、しばらくしてから元同僚の奥さんからWeChatで連絡が入って、「日本語学校が大学から追い出されることになった」と。

えっ、追い出される?
ちょっと信じられなかったんだけど…

その後、校長先生からもメールで連絡が来て、本当のことでした。

結果的には…

日本語教師養成講座はクラスメイトと一緒に修了することができた。
船橋の日本語学校で少しの間、働くことができた。
その後、台湾で生活することができた。

今思えば、良かったのかなと思います。

もし微妙に時期が少しだけズレていたら、大変なことになっていたかもしれません。

というのも日本語学校から日本語教師養成講座をやめて上海で日本語教師の講習を受けなさいと、すすめられていました。そっちなら1週間で終わると。
めっちゃどうするか迷ったんですよね。
上海の日本語学校の担当クラスが6月開始じゃなく5月開始だったら、迷わず上海で日本語教師の講習を受けていたと思います。

そして上海で路頭に迷ってたんじゃないかな(笑)

この上海での出来事を話すと、「無駄だったね」と言われることがあります。
お金や時間、手間のことなんでしょう。普通に考えたら、そうかも知れません。

ただ、わたし的には、そうとは思えないんです。

短い時間だったけど、中国の人と接することができて、いい経験になったなぁ~と思うんです。

その後、花嫁さんたちとは、しばらく連絡はとっていたのですが、台湾に行くことになってから、一旦なし(あいまいな保留)ということにいたしました。

というか台湾に行ってから、あるときWeChatにログインができなくなったんです。
電話番号が変わったからかな?
もうどうしようもなくて、お手上げで、花嫁さんたちどころか、中国人のネットワーク全部が音信不通になってしまいました。

これは、日本語学校が無くなるよりショックでした。

すみません、自分でも何が言いたかったんだろう?

何か上海旅行記みたいになっちゃいました。

では、またねー

ぱんず

 

★日本語教師のことが知りたいあなたへ
日本語教師のインタビュー記事を参考にしてください。




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